蒸留酒の物語り
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蒸留酒の物語り

Updated: Oct 29, 2021

シルクロード(紀元前 202 から 1911 年)とは当時の中国での冊封体制に準じた広大なメカニズムであり、明王国 (1368-1644)、清王朝 (1644-1911)と数多くの近隣諸国との長期貿易関係を確たるものにしました。それに加え、明王朝時代の大航海がこの巨大な貿易ネットワークを構築するのに一役買いました。

貿易国同士な有益な交流は各地域の文化に多大な影響を与えました。例えば琉球王朝(沖縄)、スコータイ王朝 (タイ)、セイロン (スリランカ) などの王国は明王朝の冊封体制に参加しており、その貿易協定により利益を得ていました。美術品や香辛料の取引はもちろん、お酒の蒸留技術の提供も行われていました。

国家間の貿易の歴史を見てみる と、酒の蒸留技術が文明から文 明へ手渡される際、その時に使 える素材や資源により少しずつ 変化が表れます。諸説がありま すが、例えばアラック酒とはア ジアや東地中海で飲まれる様々 な蒸留酒の事を指します。

「中国中南部ではアラック酒は主に米で出来ており、エジプトではナツメヤシの果実(デーツ)で出来ています。モンゴルでは醗酵した牛乳から蒸留したお酒であり、スリランカではココナッツの花の樹液を醗酵したものから出来ています。」

興味深い事にアラック酒はこれまた様々なバリエーションがあるヤ シ酒に凄く似ています。例えば、ナイジェリアではトディー(ヤシの 樹液) を抽出しヤシ酒を作る工程は、スリランカでココナッツから樹 液を抽出しアラック酒を作る工程と酷似しています。

同じように琉球泡盛の存在も沖縄の貿易の歴史により生まれたものです。その源流はタイのスピリッツであるラオ・カオにあり、タイ米を蒸留させる技術は 15 世紀から今なお受け継がれています。 年月と共に、沖縄の人たちは近隣諸国からの技術を応用し、亜熱帯気候により適した蒸留工程を磨き上げていきました。

中国との属国関係の中、琉球泡盛は他の物資と共に中国と日本へ広 まっていきました。 中国と琉球との朝貢貿易 (1372-1874) は直接交流 の無かった国々が琉球を介して貿易を可能にする利益を生み出しま した。その結果琉球王国は 500 年以上にも渡り、各国家間の橋渡し としての地位を確立しました。次いで 16 世紀中頃、泡盛とその蒸留 技術は鹿児島へ伝えられ、焼酎が生まれました。偶然にも、

「江戸時代 (1603ー1868) の頃焼酎はアラキ酒、すなわち中東のアラック酒がもじったような言葉で呼ばれていました。そして中国とアラビアのお酒の名前が同じ意味を持ってたりしたのも偶然ではないのでしょう。」

謎は残りますが、歴史を紐解くとシルクロードや大航海、冊封体制等の貿易のネットワークがアジアの蒸留酒アラック酒、ラオ・カオ、泡盛、焼酎を繋げた事は容易に予想できます。これら 4 つの飲み物は遠いいとこ同士みたいなものなのです。


沖縄生まれのブルーハブ トレードグループは現在 Rockland Distilleries’のセイロンアラックを輸入しています。Facebook とインスタグラムの@bluehabu をフォローしてお得な最新情報を手に入れてください。




  1. http://www.drinkingcup.net/arrack-lost-spirit-of-adventure/

  2. http://www.npr.org/2010/12/30/132444994/a-vintage-cocktail-that-packs-a-punch

  3. 蒸留酒の歴史: http://www.k3.dion.ne.jp/~okkuu/fw3-2.html (日本語)

  4. 焼酎の誕生: http://www.shochu.or.jp/whats/topic.html (日本語)

  5. https://www.sakeschoolofamerica.com/news/discoveringshochu/episode-1- history-of-shochu-pt-1/

  6. http://mixology.eu/drinks-en/lost-ingredients-arrack/?lang=en


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